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15の思ひで

  • 執筆者の写真: Hiromi
    Hiromi
  • 2024年11月23日
  • 読了時間: 3分

中学2年生の夏


私は市が企画した姉妹都市の交換留学プログラムで

オーストラリアのメルボルンに行った。 この時が初めて飛行機で それでいて国境を渡ったという経験だった。


当時英語が苦手だったけど

海外には興味があって

でも英語が無理…。

という矛盾した中でモヤモヤ生きていた時だった。 そんな時期 ちょうど姉妹都市となり市が初めての出した企画。親も乗り気で応募をすすめてきた。 そもそも海外に行ける家庭でもなく この公募をすすめてくるとは思ってもいなかったが 母は乗り気だった。 「行けるなら、この時行ったらいい」と。

市内の中学生が応募するから当たるわけがないと思って応募したらなんと!!行けることになり それから母と一緒に母は取ったことがないパスポートを私の為に一緒に取りに行き 行った事の無い海外への準備をしてくれた。


今思えば

社会人になってから転職を考えた時期にふとよぎった留学という進路。 行ったことのあるオーストラリアを選んで、その気になれたから留学を考えた。 ちなみに、社会人になってからの留学は私の大きな転機ステージ2になる。

(転機ステージ1は高校卒業してからの進路) そして私も親になった身だから思うけど、 今みたいにインターネットなどなく、携帯電話がまだ普及しきる前のあの時代 心配する事いっぱいあっただろうに、よく行かせてくれたなと、感謝する。 交換留学が私に与えた影響って実際なんだったのか…

今考えても具体的に浮かばないけど

準備の時から全てが初めての経験だったけど、どれも楽しんで過ごせた記憶がある。 でも言える事はやっぱり英語が苦手だった。 この時私は「上手に話せない」という事に大きな課題とコンプレックスをもっていた。

今思えば気にすることない、気持ちが大事って思えるけど 真面目過ぎたね、この時の私は。。。


交換留学後もカードの送り合いをしたものの長続きしなかった…のは私の語学力と英語嫌いから。 逆にとても良き時間をくれた家族なのに 上手にやり取り繋ぐことが出来なかったのがトラウマのような感覚で引っかかっていた。


それから10年して社会人で留学を決めた。 悔しかったんだ。出来ない事が。でも本当にできないことは無いってどこかで思っていた。 いざ留学して語学を学び英語嫌いから英語に楽しみを見出せるほどになった頃 中学生に文通していたその手紙たちがどこに行ったのかわからなくなってしまい 連絡とる手段が不明になってしまった。 今更連絡しても…かもしれないけど でもやっぱりあの時のもやもやした自分を解消したい…って気持ちを持ちながら 今も過ごしていた。

年末の大掃除気分で先日自分の荷物をごっそり整理していたら その中に過去の海外からの手紙たちの束を見つけた。

留学以後に知り合った人たちからの手紙やカードだった。

カンボジア、オランダ、イギリス、カナダと様々な国のハガキやカードがある中 一番多かったのはオーストラリア。 オーストラリアの様々な都市から届いていた中に 古い記憶で見覚えのある字で「Hiromi」とかかれたカードがあった。 そう。当時のホームステイ先の子からのカードだった。 私が探していたソレだったのだ。



もうこの住所には住んでいないかもしれないけど、 このカードを頼りにまずは手紙を書こうと思う。

なんて書こう…ドキドキする…

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